皆足媛は何処の誰?
別格本山、金陵山西大寺(西大寺観音院)の建立については、二説あります。
寺伝の第一説によりますと、奈良朝の昔、すなわち孝謙天皇の時代、
天平勝宝三年周防の国(いまの山口県玖珂の庄)の藤原皆足媛の開基によるとされています。
皆足媛の父は、日頃より深く観音を信仰しておりましたので、娘にもこれを勧め、
したがって娘に皆足という名前をつけました。
「皆足」とは、仏典のいわゆる、「皆会満足」の意味ととれるようです。
他説としては、法華経の中に「皆令満足」という語があり、これによって命名されたともいわれます。
日々篤く観音信仰をする皆足媛
皆足媛は、成長していくにしたがって、しだいに深く観音を信仰するようになり、 つねづね、いつかはその観音像を造って、いつも観音を信仰をさせて頂いていることに報いたいものだと、 強く念願するようになってきました。
皆足媛の舘に年少の仏師が訪れる
そのころ、たまたま年少の仏師が皆足媛の舘を訪れたので、皆足媛は日頃の存念を話し、彫像の願いを叶えてくれるようにと申し出ました。 余談ですがそのころ皆足媛には夫があり、夫は備前国府に赴任していました。